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志/源光

志/源光

2010年09月分

ラクシュミーさん(2010年のメッセージ)



こちらのページでご紹介させて頂いております
「ラクシュミーさんの言葉」は、
よびりん♪さん のブログで
ご紹介されていたものを纏めたものです。










2010年9月1日

日本でも超能力ブームで、霊能者と称する人がメディアによく登場しますね。
こちらから観ていると、
 「よくもまあ、あんな嘘がいえるもの」
ということがほとんどです。

でも本当に少数ですが、本当に世のため、人のために動いている人もいるのです。

霊というものは、霊能者の心のレベルで観える範囲が確定するのです。
わかりやすく言うと、
人格的にも立派で、心優しく、さわやかな人には明るい世界の天使の協力による霊視。
じめじめとして暗い性格、情欲に狂う、金に汚ない等の人には、
動物霊や地獄霊の憑依による霊視、ということになります。
(悪霊というものは、酒色にふけり、金銭や物に執着するものなのです。)

実は、あの世が観えようと観えまいと、オーラが観えようと、観えまいと
スプーンが曲がろうと曲がるまいと(笑)そんなことはどうでもいいのです。

悪霊に開かされた第三の目は、邪悪なものしか観えません。

あはは、おほほと笑って過ごす人は、いつも光の天使から守られているものなのです。
笑顔は、どんな不運も吹き飛ばす最強のパワーを持っています。

実は私も日々笑って暮らしています。
触れ合う人たちを爆笑させる、陽気な冗談というものは、
愛の心の大源を包括しているのです。




2010年9月2日

現代人は、昼夜が逆転した生活をする人が多いので、悪霊に憑依されやすいのです。
悪霊が憑依できる時間は深夜に限られているのです。

精神活動のエネルギーは睡眠によって補給されるのですが、
昼夜逆転の生活を長く続けていると、
昼間にウトウトと浅い眠りをするのみですから、
睡眠によるエネルギー補填を受けられないばかりか、
深夜の悪霊の憑依を許す絶好のチャンスを用意したことになるのです。
(心が同調した悪霊が憑依のチャンスを窺っているのです。)

短い睡眠時間を誇る人がいますが、これは大いなる間違いです。
売れっ子芸能人の、大麻汚染や、自殺などもこういう社会環境が生み出したものです。

昼間働き、夜、熟睡するといった昼夜の区別がはっきりした生活には、
悪霊といえどもお手上げなのです。

最近、過労による鬱の発症や、自殺なども多いのですが、
連日の深夜労働で、睡眠不足で心神喪失の時に
悪霊に付け入られた人がほとんどといっても過言ではありません。

仕事ではなく、深夜、飲食や快楽のために遊び続けている人は、
完全に憑依予備軍といえます。

憑依されやすい人は、整理整頓や、掃除が嫌い、風呂に入ることも嫌い、
深夜に目がさえるという人です。

まわりの人が根気よく強制的に正しい生活の習慣をつけさせなければならないのです。

いずれにしても笑顔を忘れないことです。
やすふささん(よびりん♪さん)の唱えている
「笑よく業を制す」
「お祓いよりお笑い」は、
本当の笑いを忘れた現代人への警鐘でもあるのです。

「健康な肉体に健全な精神は宿る」ということですね。

苦難の時こそ、明日を信じて、心豊かに明るく生きることですよ。




2010年9月4日

不思議に物事がうまくいく人は、「運」を持っているのです。
「運」は、心の持ち方次第で誰でも手に入れることができるのですが、
そのことに気づいている人は稀です。 

☆ 奇跡は誰にでも起こせます。 
  ご自分の守護霊と心を同通させてください。
  それは愛であり良心であり真心です。 

みなさんの世界では、総理大臣が直接、国民一人ひとりに奉仕することは無理なことはお分かりいただけますね。
政策→地方自治体→執行する部署→個人という手順になります。

私、ラクシュミーからのプレゼントは、みなさんの指導霊さんにお渡ししました。
指導霊さん→守護霊さん→あなたという手順になります。どうぞお受け取りください。




2010年9月8日

運命は、その人の心の結果であり生きざまの結果です。
今の自分とは、過去の輪廻転生と今生に生まれてから現在までの自分の総決算です。 

よいと思ってやってみたのに悪い結果が出たというのは、よいと思ったことが、
その人の自己中心的な我の考えであり、天から見ればよいことではなかったのです。

あなたの現在は、あなたの過去の総決算。
現在の自分を真剣に、反省してまだ欠点があるというならば、
それはこれからの人生において、学ばなければならない宿題が残っていることを示すのです。

どうぞ、善なる良心を物差しにして、自分自身の心と対話してください。
必ず大いなる、幸せが天から降ってきます。 

私は、三つの願いではなく、もっと素晴らしいもの。
あなたに最も必要な「幸せの源」をあなたの指導霊さんにお預けしました。

辛いという字がありますね。この字は、もう少しで、幸せになれるという意味の字なのです。




2010年9月9日

地球上の、ある国や、地方に、
「自分さえよければいいのだ!」
「人が泣こうと喚こうと知ったことか!自分さえ儲かればいい!」
という自我意識が強力になると、
そこに住んでいる人々の暗い想念の集中が、暗雲となって神の光をさえぎるのです。

すると、神の光が届かない地域、または届きにくい地域が発生して、
そこに魔が侵入して戦争や、天災、天変地異が起るのです。

最近の天災が、ある特定の独裁国家や、紛争地域に多く発生していることを確認していただきたいのです。

世界中には何千メ-トルもの高地に貝の化石がありますね。
太古、地球は何度も隆起、陥没があり、
そのたびに、それまで神の光を否定して、
我欲におぼれ、隆盛を誇った人間たちは、善良な市民ともども
ほぼ消滅して、科学も文明も失われているのです。

ムー伝説や、アトランティス伝説、ノアの箱舟伝説は、そういう事実が繰り返したことを今に伝えています。

人間の起こす戦争、紛争、
そして天変地異の災害、隆起、陥没する場所は、
人間の暗い想念が、神の光を閉ざした所に
魔が同通して起こるということを知っておいてください。

天災が発生しそうな地域には、
心美しき人が、多く生まれてきて善良なる暮らしをしているのです。

これは、暗い地域を一掃して、天変地異を回避させるための天の配慮なのです。

最近のエコ運動などのリーダーも光の天使が勤めていますが、
心無い妨害があるのも事実です。
(悪霊は光を恐れるからエコなど不要なのです。)

光の天使が、法を説いても、戦争、紛争、天災が起こってしまう!ということは、
悪しき指導層、アウトローの暗躍が、正義を退けて、魔と同通したのだと思ってください。
戦争、紛争、天災で亡くなる人は、魔の紛争に巻き込まれた「心優しい人」がほとんどなのです。

しかし現世的には不幸なようですが、決してそうではありません。
戦争、紛争に巻き込まれて亡くなったり、
不慮の災害で亡くなった善人たちは、人の道、国の道を教えるために、
大切な命を捧げた人たちですから、
全て、天界に還って幸せに暮らしていることをお伝えしておきたいと思います。

生き残る人は天命を果たす、お役目があるので、生き残ったのです。
現世のみで考えると不幸のようでも、そうではない。これが真実なのです。

どうか、皆様も、この世を去る瞬間まで、笑顔を絶やさず、
触れ合う人たちや自然に感謝して生きて欲しいと切に願っています。




2010年9月10日

こちらの世界から、現世は全てお見通しです。

みなさんは、映画を見る時、スクリ-ンに映ったスト-リ-に感動して泣いたり笑ったり、しますね。
観客が「あの世の人」(故人となったあなたの家族)でスクリ-ンの映像が「この世」と考えて欲しいのです

スクリ-ンに映っている「この世のこと」は、あの世の人である観客はわかります。
でも、観客はスクリ-ンの登場人物に語りかけることも注意することもできません。

これと同じように、あの世の人はこの世のことがわかっていながら、
この世の人に注意をしたりものを頼むことも出来ないのです。

「ああ!こんなことをしたら失敗してしまうのに!」
あなたの人生である映画を観ている、ご家族や、守護霊さんは、いつもあなたのことを心配しています。
「ああ!悲しい結末なんか見たくない!」と嘆いていますよ。

映画を創る脚本家も、演じる主役もあなたです。 

実は、誰でも生まれるときに、「今度生まれたらこういう人生にしよう」と
ストーリーを考えて誕生するのですが、いつのまにかストーリーが変更になってしまうことはよくあることです。

人生の途中に自分自身で、前世の歪の修正のために、仕掛けていた試練に疲れて
安易な道に逃げたり、悪の誘惑に負けてしまうのです。

しかし良心は、最初の脚本を記憶しています。
だからこそ人は、良心に恥じる行為をしてはいけないし、考えてもいけないのです。

良心に恥じない生活を続けていると、ある日、ふっと、守護霊さんと話ができるようになります。
これが、映画のスクリーンから自分の心を開放した瞬間です。 
悪霊に心を売り渡したときは悪霊の思いのままに操られるのです。




2010年9月11日

現世では、善と悪の心の葛藤というものがあります。

母を喜ばせるために犯した罪でも罪には違いありませんが、
天では、こういう行為には罪一等を減じるのが原則です。

罪は、今世で更生できない場合、来世の自分自身で、更生することになります。

人はそれぞれに過去世を持っているのに、なぜかそれを想い出せないのです。

太古、人間は過去世を誰でも知っていたのですが、
永い歴史の中で「愚痴」「怒り」「足ることを知らぬ欲望」という暗い想念をつくり出したために、
天が、その力を閉ざしてしまったのです。

あの世があるのかないのか分からないということは、生老病死の悩みと向き合って生きなければならない。
これこそ人生の修行なのです。

今を正しく生きるために、ゼロから自分の欠点を修正できるように
人はその能力を奥深く潜在してしまうことになったというわけです。

良き事をすれば、天の蔵に「心の宝」が収納されていきます。
そして悪しきことをすれば、地の蔵に「穢れ」が蓄積されていきます。

この地の蔵の「穢れ」を一掃するまで人は輪廻転生を繰り返すのです。

人が見ていようと見ていまいと良心に恥じない自分であり続けてください。
天はすべてを知っていますから。

この世を去る日、雲のお迎えが来た善なる人々は、天の大いなる仕組みを思い出し感動の光に包まれるのです。




2010年9月13日

人間は、内容よりも外見で判断しがちなものです。
だれでも眼は持っているのですが、洞察の才を持っている人は稀です。




2010年9月17日

~ 私たちの真実 ~

人間の肉体は、宇宙の摂理によって構成されています。
植物は、核(本体)を中心に、その周囲に原形質膜、液胞、細胞膜の四つから構成されていて、
本体一、分身四の関係となっていることは学校で習われたと思います。

動物の場合は、核(本体一)を中心に原形質膜、ミトコンドリア、ゴルジ体、中心体、脂肪粒の
五つから構成され、本体一、分身五の関係になっています。

鉱物は、原子番号に核を加えた数が本体と分身の数になり、
例えば炭素の原子番号の場合は六、核が一つに陰外電子が六ということで、
本体一、分身六の関係となっています。

人間も動物ですから本体一、分身五の関係には違いないのですが、
人間の場合は、大宇宙意識を母体に熱・光・電気・磁気・重力という五つのエレメントからできているので、
人間の生命体もこれに合わせて本体一(大意識)、分身五(五つのエレメント)の組合せになっているのです。

地球は気圏、水圏、岩圏から成っており、原子は陰外電子、中性子、陽電子からでき、
電気は陽性(+)、中性(N)、陰性(一)から、
細胞は大きくわけて原形質、細胞質、核の三つから構成されています。

物質の成立は、宇宙の大意識をまず出発点として、
第二に熱・光・電気・磁気・重力のエネルギーが組み合わさって、
物質という第三の現象化が行なわれているのです。

植物や動物の生命は、まず第一ステップで、大宇宙意識があり、
第二ステップで個としての生命が、あの世(実在界)に誕生し、
第三ステップで、地上に姿を現わすのです。

一人の魂が本体1、分霊5で構成されており、
三段階ステップで地上に誕生することが、理解できましたでしょうか?

では、魂の輪廻転生の順序をお話します。

原則的には順送りでAが出れば次がB、Bの次はCというように、
A(一本体)BCDEF(五分身)が、次々に地上(この世)に出て人生修行をするのです。

輪廻転生の過程で立派に天命を果たして還る者と、
邪道にそれてしまう者もあって、全体のバランスを崩すことがあるので、
そういう場合は、指導霊と話しあって、原則にこだわらず、
AならAが短期間に二度、三度、地上に出て修行することもあり得るのですが、
こういうケースは特別な場合に限られています。
この仕組を、わかりやすく図にすると次の通りです。

本霊・分霊・守護霊関係

男性なのに心は女性、女性として生まれてきたのに心は男性という人もいますが、
これは、本人は男性あるいは女性でも、あの世の5人がすべて異性、
という配置になっているのであって少しも不思議なことではないのです。

本霊も分霊もすべて女性、あるいは男性という配列は、女らしく、男らしくなるのは当然ですね。

この本霊、分霊関係、そして守護霊の配置については、私よりも、
やすふささんの方がむしろ説明が上手ですので、どうぞ、お尋ねください。

☆ よびりん♪さん(やすふささん)の補足です ☆
どうぞお尋ねください。なんて言われても困ってしまうのですが(爆)、
非常に複雑な仕組みですので、ネットでは無理です。
必然で、接近戦でお話する機会もあろうかと思います。

たとえラクシュミーさんの話であれ、決して鵜呑みにせず、
良心に照らして考えてみることが大切なことなのです。

半分の法則です。

霊界通信と称する、インチキ商法や、詐欺行為は後を絶ちません。
高級霊は、無償の愛の存在ですから、
「自分だけが正しいから、言うことを聞け!」と
強制することなど無く、罰も与えません。

宗教も超越しています。
決して、見返りも金銭も要求しないものなのです。




2010年9月18日

地上に生ある、すべての人たちは、
自分自身が望んだ両親より与えられた肉体という「修行舟」に乗り、
この世に生を受けて、自分の魂の修行にあった試練を自らに課して、
人生航路の海原へ乗り出しました。

自分自身で選んだ修行ですから、乗り越えられない試練などは、絶対に無いのです。
もだえ苦しみ、そこから真理を探し出さなければなりません。
(これを輝くダイヤモンドといいます。)

人は、己の意識・魂を磨き、前世よりも向上させるために地上に生を受け、
触れ合う人々と力を合わせて、地上にユートピアを造らんがために
生れたことを悟ることです。

神仏と表裏一体の善霊は、肉体を持っても、天界と同じオーラに満ち、
地上の世界にあって諸々の魂を善導する光の天使です。
(生きる姿そのもので、苦難に苦しむ人々を救わんと願い、自らに過酷な運命を設定する光の天使もいます。
五体不満足で生を受けることを自ら選んだ、乙武さんの魂の美しさに感動した人もいるはずです。)

光の天使とは、すなわち、諸如来 諸菩薩、大天使のこと。
それは、あなたかも知れません。

どうぞ天命を思い出して欲しいのです。

現世の煩悩に翻弄されていませんか?
天との約束を、どうぞ思い出してください。




2010年9月19日

人は決して死ぬことはありません。
良心に従って堂々と生きていきましょう。

生老病死を超越して、
正しく、
美しく、
楽しく、
活きていきましょう。




2010年9月21日

地上に生まれるということは、人間にとってまたとない修行の場なのです。
天界は波動が非常に精妙で、思っていること、行うことの意識が即、
表面に出てしまう世界ですから、自らを修正することが余りにも容易なために修行にはなりにくいのです。

同じ心のレベルの魂が、町や村を創って暮らしている世界ですから、
善霊の住む町や村では、日々、笑顔が溢れ、各自の好きな仕事に従事して
みんなの役に立つ充実した生活をしています。

大自然は、公害ゼロで、この上なく美しく、美しい花が咲き乱れ、
病気も老いることも無く、各自が、もっとも好きな年齢と服装で暮らしています。

ある一定の、悟りに達している人々の乗り物は、「雲」です。

「雲」には、心の到達したレベルによって、性能に違いがありますが、
正5位上の「雲」でも地上の、自動車や飛行機、舟、宇宙船、潜水艦に
タイムマシンを加えたよりも、はるかに高性能で燃料もいりません。

この仕組みについての、やすふささん(よびりん♪さんのこと)の説明は、
完璧ですから、どうぞお尋ね下さい。

地上では、意識の九十%が潜在されてしまうために、
予測のつかない人生を歩きながら自らを修正し、
ユートピア実現のために修行しなければならないということになります。

これはそれまでの学習の結果をみるための良い試験の場となり、魂の向上に繋がるのです。




2010年9月22日 中秋の名月

温かい人間ばかりのグル-プで構成された天界の町や村は、
争いも討論もない、それはそれは爽やかな素晴らしい世界です。

地上界での人間の成り立ちは、
「肉体」と「光子体」と「霊子体」の三重体であり、
亡くなると「肉体」はこの世に脱ぎ捨てるので、
実在界(あの世)では「光子体」と「霊子体」の二重体となっています。

実在界は光子と霊子の世界ですが、
光子体は実在界での肉体であり、
心(魂)が霊子体と思えばわかりやすいと思います。
心(魂)は、ガス体のようなものと考えてください。

地上で、心を暗くし慈悲、愛のない日々を送った人は、
ガス体も重くなって、上の方へあがれないのです。
雲に乗るには重過ぎるのです。

執着もなく、慈悲、愛の日々を送った人は、
心も明るく、ガス体も軽いので、
雲に乗って上の方へ上の方へ行けると言うわけです。
上の方へ行ける霊こそ執着から離れ悟った人と言えます。。

考えてみればしごく当然のことですが、
この実在界では上の段階の人は、下位のものを垣間見ることが出来るのですが、
下位の段階の人は上の段階の生活振りを、垣間見ることは許されないのです。
重いガス体では、上に昇れない事を考えれば当然ですね。

地上には霊能者もたくさんいますが、
その霊界を探訪する人の霊格(人格)によって、
観える範囲が決まっているのです。

悪霊と心を通じている、霊能者の観える世界は、
「地獄界」のみということを知っておいてください。

地上は、あらゆる階層の人が生まれて、
互いに修行をしている波動の乱れた世界です。

やすふささん((よびりん♪さんのこと)は、まず、
「お人よしを卒業しましょう!」と、わかりやすく説いています。

心優しい人は、まずこの心の段階をクリアして頂きたいのです。
「お人よしを卒業」 →
「反省」 →
「感謝」 →
「報恩」 →
「平常心」 →
「愛の心」 →
「自由の心」 →
「勇者の心」
と心を磨いていきましょう。

☆ 報恩を自然体でできるようになった時、正5位上の「雲」があなたを迎えに来ます。
  さらに平常心で暮らせるようになった時は、正4位の「雲」が迎えに来るのです。




2010年9月25日

地獄を、お釈迦様が散策している時のことでした。

地獄に堕ちた亡者たちが、お釈迦様に向かって
口々に「食べ物をくれ!」と叫ぶのです。

お釈迦様はその言葉を聞き、大皿に食べ物を山のように盛り、
亡者たちの前に置き、こう言いました。

「この食べ物は、手掴かみでは決して食べられない。この箸を使って食べるように」

そんな話など、信用しない亡者たちが、
お釈迦様が歩み去るのを待ちかねて、
手を伸ばして掴もうとすると消えて無くなるのです。

差し出された箸は、重くて長い箸でした。
亡者たちは、人を押しのけ、殴り合って、
われ先に、食べ物を口に入れようとしたのです。

ところが箸は長いので、食べ物を箸の先が掴んでも、
遠くてそれを口に入れることができないのです。

ならば箸の下のほうを持って……と試みても、
箸は突然、鉛のように重くなって、
今度は満足に持つこともできず、
料理を、突き刺すこともできないのです。

結局、目の前に山のような御馳走があるのに、
それらを口に入れることができないのです。
人々が泣き叫んでいると、雲に乗った吉祥天様が現れて、教えてくれたのです。

「箸で食べ物を掴んだら、自分ではなく、目の前の人の口に入れてあげなさい。」

食べさせてもらった人は、もっと食べたいから、
その人も箸で食べ物を掴み、自分の口ではなく、
目の前の他人の口に入れることになりました。

自分ばかりが食べようとしている時には口に入らなかった食べ物が、
人に食べさせることによって自分の口に入る。
これが人の道であることを知った地獄の亡者たちは、
生前の人を泣かせ苦しめ、我欲に生きていた、さもしい己の心を恥入り、
大粒の涙を流して反省して、吉祥天様に導かれて、極楽に迎え入れられたということです。

~ラクシュミーさんからのメッセージです~
☆ 人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながります。
   縁は円を描いて自分に還ってくるのです。

☆ 完璧な人は有史以来タダの一人も地球上に生まれたことはありません。
  たとえ悪に染まっている人でも、今から更生して良心に恥じない生活をすればいいのです。

大切なのは今!!そして未来です!!




2010年9月25日

よびりん♪さんのお話し~

犬のエルフィーと男の子は大の仲良し。
一緒に大きくなりました。

でもエルフィーは犬だから、男の子よりもずっとはやく大きくなりました。
そしてだんだんと老いて、病気がちになって痩せていきました。

男の子は寝る前には必ず、
 「エルフィー、ずーっと、だいすきだよ」
と言ってあげたのでした。

男の子の家族もエルフィーのことを大好きでしたが、
誰もそれを口に出しては言いませんでした。

ある朝、目を覚ますとエルフィーが死んでいました。
みんな悲しくてたまりませんでしたが、
男の子は毎晩エルフィーに
 「ずーっと、だいすきだよ」
と言ってあげていたので、いくらか気持ちが楽でした。

男の子は、今後動物を飼うときは、
きっと毎晩、
 「ずーっと、ずっと、だいすきだよ」
と言ってあげよう、と思うのでした。

~ラクシュミーさんからメッセージ~
☆ 大好きな人。大好きな動物。みんなに口に出していいましょうね。
  「ずーっと、ずーっとだいすきだよ!!」って。。
  別れても、いつの日か、再会できるのですから。





2010年9月27日

親子の絆は、天界での約束事です。

やすふささん(よびりん♪さんのこと)のお嬢さんは、
3歳前に亡くなったのですが、それも約束事です。 
決して親が勝手に生んだのではありません。

幸せは、お金や名誉や地位や財産や、学歴などの中にあるのではなく、
家族の、あはは、おホホと笑う、温かい家庭の団欒の中にあるのです。




2010年9月28日

よびりん♪さんのお話し~

100万年も 死なない ねこが いました。
100万回も しんで 100万回も 生きたのです。
りっぱな とらねこでした。
100万人の 人が そのねこを かわいがり100万人の人が そのねこが しんだとき なきました。
ねこは 1回も なきませんでした。

☆あるとき ねこは 王様の ねこでした。
ねこは 王様なんか きらいでした。
王様は 戦争が 上手で いつも 戦争を していました。
そして ねこを 立派な 籠に いれて 戦争に つれていきました。
ある日 ねこは とんできた 矢に当たって しんでしまいました。
王様は戦いの まっ最中に ねこを だいて なきました。
王さまは 戦争を やめて お城に 帰ってきました。
そして お城の 庭に ねこを うめました。

☆あるとき ねこは 船のりの ねこでした。
ねこは 海なんか きらいでした。
船のりは世界中の 海と 世界中の 港に ねこを つれていきました。
ある日 ねこは 船から おちてしまいました。
ねこは およげなかったのです。
船のりが いそいで あみで すくいあげると ねこは びしょぬれになって しんでいました。
船のりは ぬれた ぞうきんのようになった ねこを だいて大きな声で なきました。
そして遠い みなと町の公園の 木の下に ねこを うめました。

☆あるとき ねこは サーカスの 手品つかいの ねこでした。
ねこは サーカスなんか きらいでした。
手品つかいは 毎日 ねこを 箱の中に 入れてのこぎりで まっぷたつに しました。
それから まるのままのねこを 箱から とりだし はくしゅかっさいを うけました。
ある日 手品つかいは まちがえて 本当に ねこをまっぷたつに してしまいました。
手品つかいは まっぷたつに なってしまった ねこを 両手に ぶらさげて大きな声で なきました。
だれも はくしゅかっさいを しませんでした。
手品つかいは サーカス小屋の うらに ねこを うめました。

☆あるとき ねこは どろぼうの ねこでした。
ねこは どろぼうなんか だいきらいでした。
どろぼうは ねこと いっしょに くらい町を ねこのように しずかに歩きまわりました。
どろぼうは 犬のいる 家にだけ どろぼうに はいりました。
犬が ねこに ほえている あいだにどろぼうは 金庫を こじあけました。
ある日 ねこは 犬に かみころされてしまいました。
どろぼうは ぬすんだ ダイヤモンドと いっしょに 
ねこをだいて夜の町を 大きな声で なきながら 歩きました。
そして 家に帰って 小さな庭に ねこを うめました。

☆あるとき ねこは ひとりぼっちの おばあさんの ねこでした。
ねこは おばあさんなんか だいきらいでした。
おばあさんは 毎日 ねこをだいて 小さなまどから 外を 見ていました。
ねこは 一日じゅう おばあさんの ひざの上で ねむっていました。
やがて ねこは 年をとって しにました。
よぼよぼの おばあさんは よぼよぼの しんだねこを だいて一日じゅう なきました。
おばあさんは 庭の 木の下に ねこを うめました。

☆あるとき ねこは 小さな 女の子の ねこでした。
ねこは 子どもなんか だいきらいでした。
女の子は ねこを おんぶしたり しっかり だいて ねたりしました。
ないたときは ねこの せなかで なみだを ふきました。
ある日 ねこは 女の子の せなかで おぶいひもが首に まきついて しんでしまいました。
ぐらぐらの頭に なってしまった ねこを だいて女の子は 一日じゅう なきました。
そして ねこを庭の 木の下に うめました。
ねこは しぬのなんか 平気だったのです。

☆あるとき ねこは だれの ねこでも ありませんでした。
のらねこだったのです。
ねこは はじめて 自分の ねこに なりました。
ねこは 自分が だいすきでした。
なにしろ りっぱな とらねこだったので りっぱな のらねこに なりました。
どんな めすねこも ねこの およめさんに なりたがりました。
大きなさかなを プレゼントする ねこも いました。
上等のねずみを さしだす ねこも いました。
めずらしい またたびを おみやげにする ねこも いました。
りっぱな とらもようを なめてくれる ねこも いました。
ねこは いいました。
「おれは 100万回も しんだんだぜ。いまさら おっかしくて!」
ねこは だれよりも 自分が すきだったのです。
たった 1ぴき ねこに 見むきも しない白い うつくしい ねこが いました。
ねこは 白いねこの そばに いって「おれは 100万回も しんだんだぜ!」 と いいました。
白いねこは「そう。」と いったきりでした。
ねこは すこし はらをたてました。
なにしろ 自分が だいすきでしたからね。
つぎの日も つぎの日も ねこは 白いねこの ところへいって いいました。
「きみは まだ 1回も 生きおわって いないんだろ。」
白いねこは「そう。」と いったきりでした。
ある日 ねこは 白いねこの前で くるくると 3回 ちゅうがえりをして いいました。
「おれ サーカスの ねこだったことも あるんだぜ。」
白いねこは「そう。」と いったきりでした。
「おれは100万回も・・・。」と いいかけて
ねこは 「そばに いても いいかい。」と 白いねこに たずねました。
白いねこは「ええ。」と いいました。
ねこは 白いねこの そばに いつまでも いました。
白いねこは かわいい 子ねこを たくさん うみました。
ねこは もう「100万回も・・。」とは けっして いいませんでした。
ねこは 白いねこと たくさんの 子ねこを自分よりも すきなくらいでした。
やがて 子ねこたちは 大きくなって それぞれ どこかへ いきました。
「あいつらも りっぱな のらねこに なったなあ。」と ねこは まんぞくして いいました。
「ええ。」と 白いねこは いいました。
そして グルグルと やさしく のどを ならしました。
白いねこは すこし おばあさんに なっていました。
ねこは いっそう やさしく グルグルと のどを ならしました。
ねこは 白いねこと いっしょに いつまでも 生きていたいと 思いました。
ある日 白いねこは ねこの となりで しずかに うごかなく なっていました。
ねこは はじめて なきました。
夜になって 朝になって また夜になって 朝になって ねこは100万回も なきました。
朝になって 夜になって ある日の お昼に ねこはなきやみました。
ねこは 白いねこの となりで しずかに うごかなくなりました。
ねこは もう けっして 生きかえりませんでした。

☆ ラクシュミーさんからのメッセージです。☆
この童話は、私の好きな童話です。
生きるということ。
そして 人が輪廻転生する意味を、どうぞ読み取ってくださいね。

☆ ラクシュミーさんからのその他のメッセージです。☆
大丈夫よりも中丈夫くらいの心構えがいいようです。
 



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